修正依頼



上野館(宮城県)

うわのだて【城】


[上野館(宮城県)]
寛永八年(1631)伊達氏重臣茂庭周防良元が築城し、明治維新まで続いた。千石城の西側、標高約26mの台地上に立地し、東辺85間、西辺84間、北辺72間、南辺67間の規模を持つ。東側に幅5間の表門があったとされ、その屋根には鯱が上げられていたという。西側には幅25間の裏門があり、周囲を最大2丈1尺の土塁が巡っていた。現在は松山高校の敷地となっている。