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羽衣石城(鳥取県)

うえしじょう【城】


[羽衣石城(鳥取県)]
南条氏が10代に渡って居城としたが、貞治5年に南条貞宗が築いたという。尼子氏に攻められて城を追われたが、尼子氏滅亡後に返り咲き、更に、羽柴秀吉の毛利攻めでは秀吉に与して、天正10年の鳥取城落城後、伯耆を領した。しかし関ヶ原では西軍に属したために改易となり、城も廃城となった。大永4年、出雲月山富田城主尼子経久の伯耆侵攻によって、8代宗勝は城を追われた。尼子経久は、羽衣石城を因幡侵攻の拠点として、新宮党尼子誠久を城主に据えた。