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猪子石城(愛知県)

いのこしじょう【城】


[猪子石城(愛知県)]
東西90m、南北110mで二重の堀を構えていたという。城主は遠州の豪族横地秀次で、植田城主の横地秀綱の子孫である。天正12年(1584)小牧・長久手の戦いで秀吉方につき池田恒興らの案内役として活躍をしたが家康軍の急襲により敗走する。この時、徳川勢に焼かれ廃城となった。