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有子山城(兵庫県)

ありこやまじょう【城】


[有子山城(兵庫県)]
天正2年(1574)山名祐豊によって築かれた。永禄12年(1569)羽柴秀吉によってそれまでの居城であった此隅山城を落とされた祐豊は、残存兵力を結集して有子山城を築城し起死回生を狙ったが、天正8年(1580)羽柴秀長を将とした第2次但馬征伐軍に破れ山名氏政は因幡に逃れた。天正13年(1585)前野長康が入封したが関白豊臣秀次の処刑に連座して殺され、文禄4年(1595)播磨国龍野から小出吉政が入封、子吉英が麓に出石城を築いて廃城となった。