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明知城(岐阜県)

あけちじょう【城】


[明知城(岐阜県)]
明智川左岸の西側に張り出した標高520m、比高80mの丘陵先端に建つ山城で、主郭は山頂に位置し東側に二の郭、西側に三の郭が配置されていた。宝治元(1247)年に美濃国恵那郷の地頭職に任じられた加藤氏の景重が築いたと伝えられる。戦国時代は武田氏、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らの間で翻弄されたが、慶長5年(1600)の「関が原の戦」以降は徳川旗本の遠山氏が元和元年(1615)の「一国一城令」で明知城は破却されるまで所有した。