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和宮親子内親王

かずのみやちかこないしんのう


[和宮親子内親王]
1846-1877
仁孝天皇の第8皇女。1861年(文久元)、有栖川宮熾仁親王との婚約を解消して14代将軍・家茂の正妻として徳川家に嫁いだ。皇室の女性が武家に降嫁した唯一の例である。宮中と大奥の慣習の違いなどで苦心もあったようだが、維新前夜の世の荒波のなか、1866年(慶應2)、第2次長州征伐を統督中の家茂が大坂城内で死去すると、翌年剃髪して静寛院宮と号した。1877年(明治10)脚気療養のため箱根塔ノ沢で湯治中に衝心発作で死去。享年32。