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妙海尼

みょうかいに


[妙海尼]
1686-1774
赤穂浪士47士の1人である堀部安兵衛の妻を自称した女性。(実際の妻は堀部ほり)。1774(安永3)、高輪泉岳寺に清浄庵を結んで赤穂浪士の菩提を弔うと共に浪士の昔語りを始めた。世間の評判となり、水戸藩主徳川治保などの屋敷に招待されて赤穂浪士の話をしたという。晩年には安兵衛の未亡人ではないことを周囲に洩らしていたともいうが、泉岳寺内で94歳の高齢で死去。浪士たちの墓の傍らに安兵衛未亡人として墓碑が残っている。