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吉野太夫

よしのたゆう


[吉野太夫]
1606-1643
寛永のころ、それまでに吉野を名乗った太夫は10人あったが、井原西鶴が「なき跡まで名を残せし太夫、前代未聞の遊女也」と絶賛したのが六条三筋町林兵衛家の二代目吉野。本名を徳子といい、7歳のとき林家に抱えられ、元和5年に14歳で太夫になった。和歌、連歌、俳諧のほか、琴、琵琶、笙をよくし、書、茶湯、立花、貝合わせ、囲碁、双六に至るまで諸芸に通じていた。1631年(寛永8年)、26歳のときに京の豪商灰屋紹益に身請けされて結婚したが、1643年(寛永20)、38歳の短い生涯を閉じた。