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じゃがたらお春

じゃがたらおはる


[じゃがたらお春]
1625年-没年不詳
ポルトガル商船の乗組員であったイタリア人・ニコラス・マリンと、長崎の貿易商の子女・マリア(洗礼名。日本名不明)との間に生まれた。容姿端麗で読み書きにも長けていたといわれる。1639年(寛永16)に発布された第五次鎖国令によって、外国人が国外へ追放された際、母・マリア、姉・お万と共に14歳で離日した。追放後、21歳のときオランダ人との混血男性・シモン・シモンセンと結婚し、三男四女を儲け、1697年に72歳で死去したという。追放後にジャカルタから故郷の人々にあてた「じゃがたら文」によって知られた。