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於梶の方

おかじのかた


[於梶の方]
1578-1642
父は水戸城主・江戸但馬守といわれるが、江戸城主太田道灌の孫・康資の養女となり、13才の時に見初められて徳川家康の側室となったという。家康とは36歳もの年の差がある最年少の側室であった。1607年(慶長12)に家康最後の子である6女市姫を30歳で産むがわずか4歳で夭折。不憫に思った家康は於万の方の産んだ鶴千代と結城秀康の次男である虎松(松平忠昌。家康孫。)、外孫であった振姫(池田輝政の娘)らの養母とした。家康の没後、剃髪。53才の時に鎌倉に英勝寺を建立し、65才で没した。