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養珠院

ようじゅいん


[養珠院]
1580-1653
勝浦城主・正木頼忠の娘。徳川家康の側室で、後の紀州徳川家初代藩主・頼宣、後の水戸徳川家初代藩主・頼房の母。名はお万。義父の蔭山家が代々日蓮宗を信仰していたために、お万もその影響を受けて日遠に帰依し、浄土宗を奉ずる家康と対立した逸話も残っている。家康の死去後、1619年に身延山で法華経一万部読誦の大法要を催し、満願の日に七面山に向かった。1653年に頼宣の紀伊家江戸屋敷にて死去した。