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於大の方

おだいのかた


[於大の方]
1528-1602
尾張国緒川城城主・水野忠政の娘。1541年(天文10)に松平広忠に嫁ぎ、翌年に長男・竹千代(後の徳川家康)を産んだ。その三年後、於大の兄・水野信元が今川家と絶縁して織田家に従ったため、今川家との関係を慮った広忠により離縁されて実家に戻った。1547年には信元の意向で知多郡阿古居城城主・久松俊勝に再嫁して三男三女をもうけたが、この間、家康とは音信を絶えず取り続けたという。桶狭間の戦いの後、織田家と同盟した家康は、久松俊勝と於大の三人の息子に松平姓を与えて家臣とし、於大を母として迎えた。関ヶ原の戦いの後の1602年に京都伏見城で死去。