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小松姫 

こまつひめ


[小松姫 ]
1573-1620
上田藩藩主・真田信之の正室。徳川家譜代の本多平八郎忠勝の長女で、名は稲姫(いなひめ)叉は於小亥(おねい)。1586年(天正14)、徳川家康の養女として真田信之に嫁ぎ、次男・信政、三男・信重、長女・まん、次女・まさの二男二女をもうけた。関ヶ原で父子が東西に別れて参陣することになったとき、大阪方へ出向く途中に「孫に会いたい」と立ち寄った父・昌幸を武装した小松姫が門前で入城を拒み、立ち退いた後にその後を追って近郊で子供たちと会わせたとか、戦後九度山に追放された昌幸、信繁父子への援助を欠かさなかったなどの逸話がある。病にかかり、江戸から草津温泉へ湯治に向かう途中武蔵国鴻巣で亡くなった。享年47。