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細川ガラシャ

ほそかわがらしゃ


[細川ガラシャ]
1563-1600
明智光秀の三女で細川忠興の正室。本名は玉。1578年(天正6)、15歳の時に細川忠興に嫁ぎ、於長、忠隆、興秋、忠利、多羅などを産んだ。光秀が本能寺の変を起こすと丹後の山奥に幽閉されるが、2年後に豊臣秀吉によって赦免された。1587年ん(天正15)年、忠興が秀吉の九州征伐に従軍して出陣中に初めてイエズス会の教会を訪れ、その後洗礼を受けて「ガラシャ」というクリスチャンネームを授かった。秀吉の死後、大名の妻子を人質として確保しようとした石田三成の兵が屋敷を包囲したとき、人質になることを拒むガラシャは、家臣に襖越しに槍で体を突かせた。享年38。