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南殿

みなみどの


[南殿]
生没年不詳
「竹生嶋奉加帳」によれば秀吉の近江長浜時代の側室で、秀吉の男児・石松丸秀勝の生母とする説がある。(秀吉は、信長の四男於次、実姉の瑞龍院日秀(とも)の子、それに南殿の子の三人に秀勝と名付けている。)石松丸秀勝は、1576年に幼くして早世した。南殿については実名・家系・経歴などすべて不詳。