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北の政所
きたのまんどころ
[北の政所]
1542-1624
北政所は、天皇の宣旨により摂政や関白の正室に対して贈られた称号だが、一般的には、豊臣秀吉の正室である寧子の通称。愛称「ねね」「おね」。尾張朝日村で杉原定利の次女として生まれ、1561年(永禄4)、14歳で木下藤吉郎(豊臣秀吉)と結婚したが実子はない。才媛で、秀吉の成功も彼女の内助の功によるところが多いといわれる。秀吉は生涯16人の側室をもって淀君との間には2子を儲けたが、秀吉を陰で支え続けた良妻であった。また、秀吉の生母・大政所にもよく仕えた。1585年(天正13)秀吉が関白に就任すると、北政所(関白の妻の意)と呼ばれるようになり、天皇家と豊臣家の折衝役を務めている。1598年秀吉の死亡すると、尼となって京都三本木に住み、高台院と号した。関ヶ原の戦いで豊臣家滅亡後は、徳川幕府から化粧料一万三千石を与えられ、1624年に76歳で病死した。
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