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大政所

おおまんどころ


[大政所]
1513-1592
本名を仲といい、豊臣秀吉・豊臣秀長・日秀・朝日姫の生母。尾張国で鍛冶屋を営み、武家でもあった関弥五郎兼員の娘として生まれ、織田信秀の足軽組頭を勤めた木下弥右衛門と結婚して日秀と秀吉を出産。夫の死後、水野昌盛(竹阿弥)と再婚した。秀吉が長浜城主となった時に城に迎えられたが、以後、終生秀吉に大切にされたことはよく知られている。子の朝日姫・秀長に先立たれた後、1592年(天正20)に聚楽第で没した。80歳とも77歳ともいう。