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藤原兼子

ふじわらのかねこ


[藤原兼子]
1155-1229
鎌倉時代初期の女官で後鳥羽天皇の乳母。刑部卿・藤原範兼の娘として生まれ、初めは土御門天皇の下級女房を務めたが、後鳥羽院政と共に乳母の兼子の地位も急速に向上し、朝廷の政治に強い影響力を行使して「権門女房」といわれるほどになった。また将軍源実朝の結婚を斡旋したり、1218年(建保6)に上洛した北条政子に実朝の後嗣として冷泉宮頼仁親王を推薦するなど、鎌倉幕府に対しても関与していた。しかし、承久の乱後はしだいに勢力を失い、1229年(寛喜元)8月16日に死去した。享年75。