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高階栄子

たかしなのえいし


[高階栄子]
1151頃-1216
通称は丹後局。後白河法皇の側近・平業房に嫁したが、1179年(治承3)、平清盛のクーデタによって後白河法皇が鳥羽殿に幽閉された事件の際に業房が処刑されると、幽閉された後白河法皇の寵愛を受けるようになり、1181年(養和元)10月には法皇の皇女覲子内親王を産んだ。これを契機に丹後局は法皇の寵愛と信任を得た第一人者となり、平家が滅んだ後は鎌倉の源頼朝との交渉にも表に立ち、政治にも介入するようになった。しかし、後鳥羽天皇が成長して親政を開始すると丹後局は急速に威信をなくし、亡夫の所領にあった浄土寺に住んだという。