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建礼門院右京大夫

けんれいもんいんうきょうのだいぶ


[建礼門院右京大夫]
1157頃-没年不詳
書家の藤原伊行の娘。1172年(承安2)、高倉天皇の中宮となった平徳子(清盛の娘。のちの建礼門院)に出仕し、その後、建久年間の終わりごろには後鳥羽天皇の宮廷に再出仕する。その間、多くの平家の公達と親交し、小侍従・藤原隆房ら歌人との交流もあったという。1232年(貞永元)ごろ、藤原定家から新勅撰集撰歌の資料を求められ、これに応じて提出したのが「建礼門院右京大夫集」であった。