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建礼門院

けんれいもんいん


[建礼門院]
1155-1214
平清盛の次女で名は徳子。1171年(承安元)、17歳のときに11歳の高倉天皇の元に入内して中宮となり、7年後の1178年(治承2)、24歳で言仁親王を産んだ。1180年(治承4)2月、清盛によって退位させられた高倉天皇に代わって3歳の言仁親王が即位すると(安徳天皇)国母と呼ばれるが、ほどなくして清盛の病死、源氏の攻撃と続いて平氏一門は都を追われ、ついに壇ノ浦で一門は滅亡した。そのとき母の二位尼(時子)や安徳天皇は入水。徳子は生きて捕らえられて京都へ送られたが、直如覚と名乗って尼になった。その後大原山の奥の寂光院で安徳天皇と一門の菩提を弔って余生を終えた。