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池禅尼

いけのぜんに


[池禅尼]
1104頃-1164頃
平忠盛の正室で名は宗子。平清盛の継母に当たり、平家盛、平頼盛という清盛とは腹違いの男児を産んだ。1153年(仁平3)、夫が死去すると出家して六波羅の池殿で暮らしたことから池禅尼と呼ばれた。1159年(平治元)の平治の乱で敗れた源氏の嫡男で13歳の源頼朝が処刑されそうになったとき、早世した我が子・家盛によく似ているとして清盛に対して助命を嘆願した。清盛ははじめは拒絶したが、池禅尼が断食をし始めたため、遂に折れて処刑を断念、伊豆国への流したといわれている。