修正依頼



光明皇后

こうみょうこうごう


[光明皇后]
701-760
藤原不比等と県犬養三千代(橘三千代)の第三女で聖武天皇の皇后。名は安宿媛(あすかべひめ)といった。16歳の時、首皇子(聖武天皇)の妃となり、阿倍内親王、基親王を出産。天平2年、皇后宮職に施薬院を置き、自らの財で薬草を集めて病者に施した。また、貧窮者の救済にあたった悲田院もこのころ設置されたとみられる。また天皇に大仏建立を勧めたのも皇后であったという(続紀崩伝)。760(天平宝字4)年6月7日に病で亡くなったが、興福寺五重塔や新薬師寺の造営など仏教上の業績が大きい。