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飯豊青皇女

いいとよあおのひめみこ


[飯豊青皇女]
440-484
短期間ではあるが、第22代清寧天皇と第23代顕宗天皇との間の執政者だったと伝えられ、死後は葛城埴口丘陵(かずらきのはにくちのおかのみささぎ)に葬られたが、『日本書紀』は「墓」ではなく「陵」と表記して天皇扱いしているところからも、女帝の先駆的存在であったのではないかとされている。