修正依頼



衣通姫

そとおりひめ


[衣通姫]
生没年不詳
『日本書紀』巻第13の衣通姫伝説によれば、允恭24年の夏6月、軽皇子と軽皇女の兄妹相姦が発覚し、皇太子を処刑することはできなかったので軽皇女を四国に追放したとある。さらに允恭42年春1月に天皇が崩御した後、同年冬10月に軽皇子は弟の穴穂皇子と戦い、形勢不利と悟った軽皇子は自害したと書かれている。しかし、300年も昔の社会で同母兄妹婚姻の禁忌が本当に存在していたかどうかの確証はなく、逆に近親婚が認められた例さえ見受けられることを考えると、この伝説に疑義ありとする見方もある。