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磐之媛命

いわのひめのみこと


[磐之媛命]
生年不詳-347
葛城地方の大豪族の娘で仁徳天皇の皇后。天皇が新たな妃を迎えようとしているのを知って怒り、難波宮から山城筒城宮に移り住んで仁徳35年(347)に亡くなってしまったといわれている。当時の天皇や貴族たちは何人も妻をもつのが普通であったことから、姫の嫉妬心は例外的なものとしてみられがちだが、万葉集に「君が行き日長くなるぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ」(巻2-85)などの恋歌を残す優れた歌人でもあった。