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神功皇后

じんぐうこうごう


[神功皇后]
170-269
仲哀天皇の皇后で気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)。日本書紀などによれば、201年から269年まで政事を執り行い、夫の仲哀天皇の急死後は、住吉大神の神託によって、妊娠した身で(後の応神天皇)朝鮮半島に出兵し、新羅、高句麗、百済に朝貢の約をさせたという(三韓征伐)。福岡県など九州北部に幾つもの伝承が残っているところから、九州北部に縁の深い人物であったと推測される。陵には諸説があったが、西大寺で「京北班田図」が発見されたことで、文久3年(1863年)、現在の五社神古墳が神功皇后陵に治定された。