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広沢虎造(二代目)

ひろさわ とらぞう


[広沢虎造(二代目)]
1899~1964
昭和時代の浪曲師。上方の浪曲師広沢虎吉に弟子入りし、23歳で二代目広沢虎造を襲名。真打として東京に戻り、中京節や関東節をとりいれ、ラジオ放送の普及も相まって、戦前から戦後にかけて一世を風靡した。持ちネタは、国定忠治伝、祐天吉松があり、中でも講釈師・神田伯山直伝の清水次郎長伝に浪花節独特の節まわしをつけ、完成させた「虎造の次郎長伝」は、人気を博した。特に森の石松は人気が高く、「喰いねえ喰いねえ、寿司食いねえ」「馬鹿は死ななきゃなおらない」などは国民的な流行語となった。