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平塚

ひらつかし【神奈川県】


[平塚]
江戸期、東海道五十三次の宿場町。東部の相模川、西部の金目川の下流(花水川)の間の沖積平野に多数の塚があったことに由来する説がある。また「新編相模国風土記稿」には、桓武天皇の孫の高見王の子・政子が東国に向かう途中に当地で死去、その埋葬した塚の上面が長い間、平坦であったことから、「塚上平かなる」より「平塚」の地名が起こったという。源頼朝にまつわる伝承も多い地。