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南牧

なんもくむら【群馬県】


[南牧]
1955、磐戸村・月形村・尾沢村が合併し誕生した町名だが、古くから、荒船山の東南を南牧と呼んだという。「牧」は牧場の意。鎌倉時代の武将・青砥藤綱が幕府に当地の馬を献上するほどの馬の産地であったとされ、長野県の望月で馬の市が開かれると石灰岩の洞窟のカルシウムを多く含んだ水で育った南牧の馬は骨太で重宝されたという。なお戦国時代、武田信玄の「甲陽軍鑑」には「南目」とみえるが、これは誤字か。「荒船」山の由来は、遠景が荒海を行く一隻の船のように見えることから。