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茅ヶ崎

ちがさきし【神奈川県】


[茅ヶ崎]
応仁の乱の頃、懐島六ケ村「ちかさき」。16世紀、「茅ヶ崎郷」。千(ち)ノ川の崎で茅(かや)が生えるところとする説がある。なお、古くは京都大番役や商人たちが京都~鎌倉を往来する時、藤沢の片瀬川から相模川までの平坦な砂地を指し、「砥上ヶ原」・「とがみが原」・「やつまと」・「八的」・「八松」などと呼んだという。