修正依頼



我孫子

あびこし【千葉県】


[我孫子]
大正時代から昭和初期にかけて志賀直哉、武者小路実篤など白樺派の文人達が居を構え、「北の鎌倉」と称された地。我孫子は大化の改新以前の姓(かばね)とも官職名「阿毘古」とも言われ、人名の場合は我孫。領主・我孫公(あびこのきみ)が畿内及びその周辺から移り住んだことに因む説がある。また、元宮内省(ミヤノウチノツカサ)の大膳職に属する雑供戸・「網曳(あびき)」が転じた説、地形を根拠とする「アバ(崩れた)・コ(処)」や「アミ(網)・バ(場)」の転とする説、インドシナのチャム語「アビ(火)クク(神)」やヘブライ語「Abik(我らの先祖たち)」の外来語とする説などもあるという。なお、鎌倉時代以前には「あびこ」の地名を示す文献記録は存在しないが、7世紀後半には「下総国相馬郡布佐(ふさ)郷」があり、それに比定される。