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天童
てんどうし【山形県】
[天童]
南北朝時代に舞鶴山に北畠天童丸の居城があったことに由来する説がある。なお次のような伝説もあるという、『むかし、むかし、千数百年も昔のことだったそうな。春、お天道(てんとう)さんの光もうららかなある日のこと、舞鶴山(まいづるやま)の山頂で、行基(ぎょうき)という偉いお坊様が一心に念仏を唱えておったんじゃと。それは、お昼過ぎたころじゃったろうか。突然、山の上に紫色の雲がたなびいたかと思うと、どこからか笛や太鼓の音色が聞こえてきたのだそうな。そして、世にも美しい音楽とともに、天から二人の童子(どうじ)が行基の目の前に舞い降りてくるではないか。一人は護衛童子(ごえいどうじ)、もう一人は摩竭童子(まかつどうじ)と名乗り、驚いてぼう然としていた行基にこういったのじゃった。「われは、自在天(仏)の使者にして、貴僧(きそう)はこの山頂の大士(菩薩)なり、よろしく一宇(お堂)を建立し、一切衆生(いっさいしゅじょう)を念仏すべし」。童子はそういい残すと、現れたときと同じようにどこへともなく消えてしもた。この話を聞いた村人たちは、ひと目、童子の姿を拝もうと急いで山に登り、童子のゆくえをさがしたということじゃったが、だれ一人見つけることはできなかったそうな。その後、行基は、二人が降り立った霊峰を天童山(てんどうざん)と名付け、それ以来、天童山の四方の里は天童と呼ばれるようになったということじゃ。それからずっとずっと後のこと、行基の弟子の一人で基限(きげん)という人が、二人の童子、すなわち少名彦那命(すくなびこなのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)をまつった天童殿(天童神社)を建てたんじゃと。二人の童子を組み合わせて天童と書くようになったのは、それからのことじゃったといい伝えられておる。』(天童市のあらまし)。
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