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渡辺崋山

わたなべかざん


[渡辺崋山]
1793~1841
日本の画家。1793年10月20日(寛政5年9月16日)田原藩(現在の愛知県東部)家臣の渡辺定通の長男として江戸の藩邸で生まれる。困窮した生活をしのぐために画業を学んだ。後に谷文晁から南画を学び、画家として成功。武士の身分であって画会を開いた。また佐藤一斎、松崎慊堂らから儒学を学び、蘭学・西洋画にも長じていた。40歳で田原藩家老を務め、天保の大飢饉には備蓄庫によって藩内に死者を出さなかったことから藩は幕府に唯一表彰されている。1833年高野長英、小関三英らと尚歯会を結成し、日本の海防強化を唱えた。幕府の保守的海防方針を『慎機論』で批判したため、1840年蛮社の獄に連座し、蟄居中に自殺。代表作「鷹見泉石像」(国宝)など。