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東洲斎写楽

とうしゅうさいしゃらく


[東洲斎写楽]
生没年不詳
主に役者絵を描いた江戸時代の浮世絵師で、大正時代にドイツの美術研究家クルトが来日してレンブラントやベラスケスと並ぶ三大肖像画家と絶賛したことから一気に評価が高まった。1974年に版画の出版が開始され、それから10か月の間に140点の錦絵を書いて消息を絶った。生没年など彼に関することはすべて不詳だが、本名については阿波(現・徳島県)の能役者斎藤十郎兵衛ではないかという説もあるが、一方ではだれか有名な絵師の変名ではないかとも言われていて確認されていない。本人の特定だけでなく、短期間で活動を停止したのはなぜかとか、版元の「蔦屋」が無名の新人の作ばかりを多く出版したのはなぜか、などとなぞ解きの興味の対象ともなっている。