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澤村榮治

さわむらえいじ


[澤村榮治]
1917~1944
三重県宇治山田市(現・伊勢市)出身で、伝説の速球王として名高い昭和初期のプロ野球選手。1934年、ベーブ・ルースやルー・ゲーリックなど当時最高のメンバーでアメリカプロ野球選抜チーム来日した折、連戦連敗の日本チームにあって、11月25日、静岡・草薙球場で当時17歳の京都商業の澤村が大リーガー相手に6回まで無失点の好投をした。7回にゲーリックに本塁打を浴びて0対1で敗れたが、この澤村の快投はスクープとしてアメリカに打電され「スクールボーイ・サワムラ」は米球界に一大センセーションを巻き起こした。その後、誕生した日本プロ野球界で大活躍して数々の記録を打ち立てたが、第二次世界大戦のぼっ発で召集を受け、1944年12月2日、台湾沖で乗っていた輸送船が撃沈されて戦死した。27歳の惜しまれる死であった。今日、プロ野球で優秀な成績を残した投手に対して贈られる「沢村賞」は、彼の栄誉と功績をたたえるために設けられたものである。