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荻原守衛

おぎわらもりえ


[荻原守衛]
1879~1910
長野県安曇野市(旧・安曇郡東穂高村)生まれの明治期の彫刻家で号を碌山と称した。絵画を志して渡米するが、1903年に渡仏した際に見たロダンの「考える人」に感動し、彫刻家に転向することを決意した。1910年、同郷の先輩でもあり、また彼の良き理解者でもあった相馬愛蔵夫妻が経営する新宿中村屋で喀血し、32歳の若さで没した。短い制作期間ではあったが、ロダンの影響のもとに、再現描写を超えた生命感あふれる作品を日本の彫刻界に残した。