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山上憶良

やまのうえのおくら


[山上憶良]
660頃~733頃
万葉歌人として知られる奈良時代初期の歌人。万葉集には78首が選ばれていて、大伴家持や柿本人麻呂、山部赤人らとともに奈良時代を代表する歌人として評価が高い。下級貴族の出身で、702年の第七次遣唐使船に同行して唐に渡り、儒教や仏教など最新の学問を学んだ。(一説では、新羅に滅ぼされた百済からの渡来人であるともされていて、それによれば、山上憶良が4歳のときであった、という。)帰国後は、東宮侍講を経て国司を歴任しながら数多くの歌を詠んだ。代表的な歌に「貧窮問答歌」や「子を思う歌」などがあるが、彼が儒教や仏教の思想に傾倒していたために死や貧、老い、病などの問題に敏感で、社会的な矛盾についても深い観察眼をもっていたことがそれらの背景にある。ほかにも、重税にあえぐ農民や防人に狩り出される夫を見送る妻など、社会的な弱者を鋭く観察した歌を多数詠んだ、当時としては異色の歌人である。また、抒情的な感情描写にもたけていて、作品の中に自分の感情を詠み込んだ歌が多いことも彼の歌の特徴となっている。没年は正確ではないが、733年ごろのことで、享年74歳であったという。