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林羅山

はやしらざん


[林羅山]
1583~1657
江戸時代初期の儒学者で、博覧強記で実務の才もあったことから23歳の若さで抜擢されて徳川家康のブレーンとなった。独学で朱子学を修め、藤原惺窩(ふじわらせいか)に出会ったことから彼の推挙で家康に取り立てられた。後の将軍秀忠や家光の侍講などを勤めた後、1635年には武家諸法度の起草にかかわり、翌年には伊勢神宮参拝典礼にも当たるなどして幕府政治にもかかわっていった。羅山は、四代の将軍に仕えて幕府初期の土台作りに大きく関与し、さまざまな制度やルールを定めていったが、朱子学は羅山の努力によって幕府公認の学問とされ、羅山の子孫は代々大学頭(だいがくのかみ―幕府の学問の責任者)として幕府にかかわった。