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二宮忠八

にのみやちゅうはち


[二宮忠八]
1866~1936
伊予国宇和郡八幡浜(現・愛媛県八幡浜市)出身の明治時代の技術者。ライト兄弟の初飛行に先立ち、動力付き有人飛行機を着想したことで知られる航空機研究者。八幡浜の商家の四男坊として生まれたが、父が事業に失敗したことから貧困に追われるようになり、生計を得るために雑貨店や印刷所などで働きながら物理学や科学の書籍を読みふけった。1889年のある日、カラスが羽ばたくことなく滑空しているのを見て、向かってくる風を翼で受ければ空を飛ぶことができるのではないか、と考えて模型飛行機を作成し、1891年4月29日、3メートルの滑走の後10メートルを飛行させて日本初のプロペラ飛行実験を成功させた。更に、2年後には有人飛行を前提にした四枚翼飛行機「玉虫型飛行器」の模型を作成したが、資金のメドが立たなかったために実際の飛行は実現せず、その後、1903年12月17日にはついにライト兄弟が人類として初めて飛行に成功した。その後忠吉は、飛行機事故で死去した多くの人を弔うために飛行神社を設立し、自ら神主となった。