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高野長英

たかのちょうえい


[高野長英]
1804~1850
陸奥国胆沢郡水沢(現・岩手県奥州市)の藩医出身で、江戸時代後期の医者・蘭学者。通称は悦三郎。長崎でシーボルトに医学・蘭学を学んだが、養父が亡くなったのを機に武士の身分を捨てて江戸で町医と蘭学塾を開いた。1839年の「蛮社の獄」で幕政批判の罪で捕らえられたが、1844年の大火に乗じて脱獄。その後、逃亡生活を続けたが、1850年10月30日、潜伏先の青山百人町(現・東京都港区南青山)で再び逮捕された。その際、自殺を試み、護送中にその傷が元で絶命した。生前にオランダ語文献の翻訳をさかんに行い、開国が実現した後、その功績によって正四位を追贈された。