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源頼朝

みなもとのよりとも


[源頼朝]
1147~1199
平安時代に河内源氏嫡流の源義朝の三男として生まれ、鎌倉幕府を開いてその初代将軍の座についた。平治の乱で父の義朝が平清盛に敗れ、伊豆国(現・静岡県)に流されるが、成人すると鎌倉を本拠として関東を平定し平家打倒の兵を挙げた。平家を京から追い落とした源義仲との戦いに勝利すると、次いで、平家追討の立役者であった実弟・義経を追放して奥州で自刃させた。平家を滅ぼして実権を手中にした頼朝は、諸国に守護と地頭を配し、隠然たる勢力を誇っていた奥州藤原氏を滅ぼして征夷大将軍に任じられた。これにより、鎌倉に朝廷から半ば独立した鎌倉幕府と呼ばれる政権が開かれ、以後、明治維新までの680年の武家政治が存続することになった。1198年12月27日、相模川で催された橋供養からの帰路で体調を崩し、(原因は落馬であるともいうが定かではない)1199年1月11日に出家して13日に53歳で没した。