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松下幸之助
まつしたこうのすけ
[松下幸之助]
1894~1989
大正期から平成期にかけて活躍した実業家で、松下電器産業を一代で築き上げた経営者。和歌山県海草郡和佐村(現・和歌山市)の農家の三男として生まれたが、父が米相場に失敗したことから、わずか9歳で奉公に出た。16歳で大阪電燈(現・関西電力)に入社して7年間勤務した後独立し、妻・むめのとその弟・井植歳男(後に三洋電機を設立)の三人でソケットの開発を始めた。1918年には「松下電気器具製作所」を個人創業し、アタッチメントプラグや電池式自転車用ランプなどを開発するなどヒット商品を数多く生み出した。1925年には「ナショナル」ブランドを立ち上げて乾電池やラジオ受信機などの製造を始め、1935年に社名を現在の「松下電器産業株式会社」と改めた。その後、幾度もの危機を乗り越えて松下電器産業を今日の大企業に育て上げ、経営の神様と呼ばれるようになったが、1989年4月27日に94歳で亡くなった。本業のほかにも多くの分野に足跡を残したが、なかでも、政財界の指導者を育成する目的で私財を投じて創設した「松下政経塾」や、出版社・民間シンクタンクである「PHP研究所」などはその代表的な事例である。彼が、経営理念について語った次のような言葉がある。「私どもが会社を経営していくときに、同業会社と非常な競争になります。競争はしなければならない。しかしそれは正しい形においてなさなければなりません。卑怯な競争はしてはならない、まして相手を倒すとか、相手に損害を加えるというような競争の仕方であってはならない、というのが、事業を始めて以来一貫した私の指導精神です。競争会社があってこそ我々の励みになるのだ、そういうように競争会社を発展的に見なければならないと考え、また社員の人にも言ってきました。我々は実業人であると同時に、やはり紳士でなければならない。正しい商売を遂行していかなければならないと思うのです。」
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