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法然

ほうねん


[法然]
1133~1212
平安時代末期から鎌倉時代初期の僧で、浄土宗の開祖。美作国久米(現・岡山県久米郡)で生まれ、15歳のときに得度して比叡山黒谷の叡空に師事し、20年以上もこの地で修行に励んだ。彼は、極楽浄土への往生を一心に願い常に念仏を唱えていれば必ず阿弥陀仏がその者を救ってくれる、という中国の善導の思想を重視した。1175年、43歳のときに法然はこの思想を元に一派を立て、京都東山の小さな庵を拠点に教化を始めた。彼の教えはそのわかりやすさから多くの人々の帰依を受けることになるが、それは既成の仏教教団にとっては非常に危険な思想でもあった。そのため、弟子たち共々激しい弾圧を受けることになり、ついに1207年の「建永の法難」によって二人の弟子が死罪になり、法然及び数人の弟子も各地に流罪になった。しかし、このことは結果的には浄土系仏教を全国に広めることにつながった。法然が許されて京都に戻ったときはすでに死の直前であり、数人の弟子に看取られて大往生をとげた。その後も彼の教えは弟子たちによって更に広められ、浄土宗西山派の基礎を作った。また、法然と同時に流罪になっていた親鸞は、京都には戻らずに関東へ赴いて浄土真宗の基礎を作った。