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平塚らいてう
ひらつからいちょう
[平塚らいてう]
1886~1971
戦前・戦後を通じて、日本における女性解放運動・婦人運動を指導した思想家・評論家・作家。公務員の子として東京に生まれ、日本女子大学家政学部を卒業。1911年、女性だけの文芸雑誌「青鞜」を創刊したが、同誌第一巻第一号に彼女が書いた「青鞜創刊に際して」の一文は女性解放の宣言として注目を集め、同誌はこのとき以来女性解放運動に大きな影響を与えるようになった。女性の集会及び結社の自由を奪っていた治安警察法第5条の撤廃を図り、市川房枝や奥むめおらの協力で日本初の女性運動団体・新婦人会を結成して消費組合運動等にも尽力。第二次大戦後は、婦人運動と共に反戦・平和運動を推進した。1950年6月、来日した米国のダレス特使へ全面講和を求めた「日本女性の平和への要望書」を提出。翌年12月には対日平和条約及び日米安全保障条約に反対して「再軍備反対婦人委員会」を結成した。1953年4月には、日本婦人団体連合会を結成して初代会長に就任。同年12月、国際民主婦人連盟副会長就任。1955年、世界平和アピール七人委員会の結成に参加。1960年、連名で「完全軍縮支持、安保条約廃棄を訴える声明」発表。1970年6月にも市川房枝らと共に安保廃棄のアピールを発表した。また、ベトナム戦争が勃発すると反戦運動を展開し、1966年に「ベトナム話し合いの会」を結成、1970年7月には「ベトナム母と子保健センター」を設立する。「女たちはみな一人ひとり天才である」と宣言する孤高の行動家として、終生婦人運動及び反戦・平和運動に献身したらいてうは、1971年5月24日、東京・代々木病院で85年の闘う生涯を閉じた。
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