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卑弥呼

ひみこ


[卑弥呼]
157頃~248頃
弥生時代後期の倭国の女王で邪馬台国を治めた。国内には卑弥呼に関する資料がなく、中国の「魏志倭人伝」の記述が唯一の手がかりであるが、それによると、国内が乱れて戦争が何年も続いた邪馬台国では、相談して一人の女子を王とした。名を卑弥呼といい、呪術を行い、多くの人がその占いを信じていた。年はとっていたが夫はおらず、弟が補佐して政治を行ったとされる。女王としての彼女は、1000人の女を召使いとして近侍させていて、宮室・やぐら・城柵をおごそかに設けており、常に警備の番人が守っていた、とある。卑弥呼が死ぬと直径が100歩もあるような大きな墓が造られ、奴卑100人あまりが殉葬された。その後、男の王を立てたが国中がこれに従わず、お互いに殺し合いが続いたために、卑弥呼の一族で13歳の「壱与」という女子を女王とし、国中がようやく鎮まった、という。しかし、我が国においてはこうした記述は今日でもなお確認されないままであり、邪馬台国の所在や卑弥呼の人物特定など多くがなおナゾのままである。