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原敬

はらたかし


[原敬]
1856~1921
爵位を固辞し続けたことから平民宰相と呼ばれた第19代内閣総理大臣。現在の岩手県盛岡市で、盛岡藩士・原直治の次男として生まれた。原の祖父は家老職にあったほどの上級士族の家柄であったが、彼自身は20歳の折に分家して平民籍に編入されことから、後に平民宰相と呼ばれるようになった。郵便報知新聞記者を経て外務省に入省。後に農商務省に移って陸奥宗光や井上馨の信頼を得た。陸奥が外務大臣時代には外務官僚として重用されたが、陸奥の死後に退官し、立憲政友会の結党に参画して政界に進出した。原は、卓越した政治感覚と指導力を発揮して、1914年には第三代立憲政友会総裁となり、1918には日本初とされる本格的政党内閣の総理大臣となった。1921年、国鉄大塚駅職員・中岡艮一によって東京駅頭において暗殺された。65歳の生涯であった。