修正依頼



徳川光圀

とくがわみつくに


[徳川光圀]
1628~1701
常陸国水戸藩2代目藩主で徳川家康の孫に当たり、紀伝体の歴史書である「大日本史」の編纂を手がけた。「大日本史」完成には、光圀の死後250年も要したが、後の水戸学と呼ばれる歴史学に思想的な影響を与えた。江戸時代に、「水戸黄門」として諸国を行脚したという伝説が流布されたことから、昭和に入ると映画やテレビドラマなどの題材とされてきたが、その内容のほとんどはフィクションである。(「黄門」は中納言の唐名であるが、光圀は中納言の職に就いたことはない。)光圀は、学者肌で非常に好奇心の強いことでも知られていて数々の逸話が残されているが、なかでもラーメンを初め、餃子・チーズ・牛乳酒・黒豆納豆などは日本の歴史上光圀が初めて食べたとされている。また、同時代に綱吉が出した「生類憐れみの令」を無視して牛肉・豚肉・ヒツジ肉などを食していたとも言われている。1690年、家督を綱條に譲って隠居し、1701年、73歳で死去。