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東條英機

とうじょうひでき


[東條英機]
1884~1948
東條英教陸軍歩兵中尉の三男として東京で生まれ、後、陸軍大将・第40代内閣総理大臣。陸軍入隊後順調に昇進して軍中枢の要職にあった東條は、第二次大戦開戦直前に、日米衝突を回避しようとする政府に対して強硬な主戦論を唱え、第三次近衛内閣を退陣に追い込んだ。このため、天皇の側近・木戸幸一らの、軍部の強硬派を抑えるには最も強硬な東條を起用すべきだという考えで、1941年に第40代内閣総理大臣に就任した。同年12月8日、ついに日米が開戦すると、東條は外務大臣・文部大臣・商工大臣・軍需大臣を次々と兼任するようになり、陸軍大臣・参謀総長として全軍まで手中にした。しかし、戦局の悪化に伴って退陣を迫られ、1943年7月18日、内閣総辞職。二年後の第二次世界大戦終了後に開かれた「東京裁判」ではA級戦犯とされ、軍国主義の代表人物として絞首刑により死去。