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田沼意次

たぬまおきつぐ


[田沼意次]
1719~1788
江戸中期の政治家で、小身な旗本の子として江戸の田安屋敷で生まれました。八代将軍の徳川吉宗にされ、九代家重の時代には小姓にされました。更に家重は、彼を美濃国郡上郡の百姓一揆に関する裁判にために御側御用取次から1万石の大名に取り立てました。次いで、1772年にに就任して政治の実権を握ると、印旛沼や手賀沼の干拓、蝦夷地の開拓を手がけました。また、長崎貿易の制限を緩めて銅や海産物の輸出を奨励したり、商工業者の株仲間結成の許可と冥加金の取り立て、鉄や銅や人参の幕府の専売制、貨幣の鋳造など商業を中心に幕府財政の立て直しに積極的な政策を取りました。こうして田沼時代と呼ばれる一時期を築きましたが、商人と交わるうちに賄賂が横行し始め、風俗も乱れました。そのうえ、折からの大飢饉も手伝って各地に一揆が発生するなど最大の悪政時代を招きました。家治の死後、江戸商人の権益に便宜を図りすぎたという批判を浴びて1786年に失脚し、その二年後に享年69歳で死去しました。